2018年1月吉川和夫美術展~人物を描く~では、
ノーベル平和賞を受賞した韓国の”金大中氏像”を描きました。
2017年制作 パステル/水彩 画用紙 6号F
次の写真は、金大中氏です
金大中氏の対日関係
金大中は併合時代の統治下で日本語教育を受けており、戦後日本での滞在も長く、流暢な日本語を話すことができたため、非公式な場における日本のマスコミ向けのインタビューでは日本語で応じる事が多かった。
盧武鉉、江沢民のように強固な反日姿勢はとっておらず、二度命を救われている日本に対しても寛容な立場で、潜在的親日派とされているが、国の事情により、親日に踏み込んだ発言まではしなかった。
ただし、小泉純一郎の靖国神社参拝問題には反対の姿勢であった。また前述の金大中事件がKCIAの犯行と判明した際には、当時の首相田中角栄等を角栄の没後であったのにも拘わらず、痛烈に批判している
<br>(ただし、日本語訳版も出た大統領就任直後に出版された自伝『死線を越えて』では「金大中事件の際には日本の皆様には世話になった。」と日本に対する謝意は表明している)。
大統領就任後の来日時には日本統治時代の恩師を訪問し、「豊田です。」と日本語で創氏改名時の苗字を名乗ったため、一部から批判を浴びた。
1998年の来日に先立って、政府として天皇を表す「日王」の呼称を取り止め、「天皇」を使用することを公式に宣言。また、来日前から「過去の清算」に強い意欲を持っていたとされる。皇居での晩餐会での天皇の言葉に対する答辞では、植民地支配など過去の歴史の傷には触れなかった。愛子内親王の誕生に際しては「皇室と国民が待ちこがれた皇孫が誕生した事を、韓国国民とともに心よりお祝いします。皇室がこの度の慶事を機に、一層繁栄することを確信します」との祝電を送った。また、金大中氏は日本の常任理事国入りに対する韓国国内の支持を求めていた。
映画や音楽などの日本文化を受容することも表明。日韓ワールドカップも共同開催するなど、『韓国社会の“独島愛国主義”を拡大・「歴史の正しい立て直し」として総督府としてより、韓国国会として長く使われた後に博物館としていた旧朝鮮総督府を独立50周年記念で爆破解体・慰安婦問題では河野談話やアジア女性基金による解決策を軽視で問題の長期化させるなど反日愛国大衆迎合主義の大統領だったと日本には苦い思いが残る人』と称される金泳三より民間交流で日韓関係を好転させ、金大中時代が過去最も良好な外交関係であった。
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