モンゴル国は、東アジア北部に位置する国家です。
東と南を中華人民共和国(中国)・内モンゴル自治区と、西を中国・新疆ウイグル自治区と、北をロシア連邦とそれぞれ接する内陸国です。
モンゴルの対日関係は極めて良好です。以前は反日感情も見られたが、相撲による交流が盛んになった今日では、国民感情としても日本とは友好的関係が維持され日本より多額のODAが供与されており、日本の中古車も人気である。日本との外交関係は1972年2月24日に樹立された。
2004年11月に在モンゴル日本国大使館が実施した世論調査では、「日本に親しみを感じる」と答えた回答が7割を超えたほか、「最も親しくすべき国」として第1位になるなど、現在のモンゴル国はきわめて良好な対日感情を有する国となっている。
また、兵庫県但東町(現豊岡市但東町)との交流が長く、町内には、日本でも数少ないモンゴルの博物館「日本・モンゴル民族博物館」があり、交流が盛んである。2010年4月1日より、日本国籍者はモンゴル入国に際し、滞在日数が30日以内の場合はビザが免除されることになった。
朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜の直近の横綱4名に加え、高齢での幕内初優勝を達成した旭天鵬など多くの大相撲力士を輩出し、歴代外国人力士の最多輩出国となっている。相撲以外のスポーツではプロボクサーのラクバ・シンが日本で畑山隆則を降しモンゴル初の世界チャンピオンに輝き、その後日本のジムを拠点としていた時期もあった。
自衛隊との交流も進展しており、防衛大学校への留学生派遣や防衛省主催の各種セミナーへの参加を続けているほか、2004年には防衛大学校校長がモンゴルを公式訪問している。
2015年10月01日発表の風景画は、
モンゴル国の伝統的、移動式住宅のゲルを描きました。
まず、私が宿泊した伝統的、移動式住宅ゲルを描きました。このゲルは、テレルジ国立公園内にあります。
次に、テレルジ国立公園にあるモンゴルの伝統的な移動式家屋ゲル3棟を描きました。
ゲル1帳は、おおむね夫婦を中心とする1小家族が住むが、遊牧民たちは一般に2~3帳のゲルからなる拡大家族集団(アイル、現代モンゴル語では「仲間」や「村」の意味もある)でまとまって遊牧を行う。
拡大家族はそれぞれの戸長が親子、兄弟などからなる場合が多いが、
地域によっては戸長の友人関係で血縁関係の薄い数家族が集まる場合もある。
同じ地域で遊牧を行う複数のアイルの集合体がいわゆる部族(アイマク)であり、これらが遊牧民の政治単位となるが、現在では解体されており、
現代のモンゴル国ではアイマクは県を指す。19世紀以前のモンゴルにはアイマクに王侯貴族がおり、隷属民の牧夫を抱え、隷属民まで含めゲルが何十何百も集まった大型のゲル集落が存在していた。
これを中世モンゴル語ではクリエン、近世モンゴル語ではフレーといい、
その中央には王侯貴族の住む大型のゲルがあった。このような大型のゲル、および大型のゲルを中心とした遊牧民の宮廷のことをふつうオルドと呼んでおり、モンゴル帝国のハーンたちは非常に大きなゲルをオルドとしていたことが知られる。
現代のモンゴル国の前身となった清朝統治下の外モンゴルでは、
もっとも大きなゲルに住み、もっとも数の多いフレーを従えていたのは
外モンゴルを代表する活仏であるジェブツンダンパ・ホトクトであった。
のちにジェブツンダンパのフレーは遊牧移動をやめて一箇所に定着し、
19世紀には漢民族の商人も住み着く都市に変貌する。
この都市が、現在のモンゴル国の首都ウランバートルの前身であるイフ・フレー(大フレー)である。現在も、ウランバートル市内には固定家屋と並んで庭にゲルを立て、都市内であえてゲルで生活する人も非常に多い。
拡大家族はそれぞれの戸長が親子、兄弟などからなる場合が多いが、
地域によっては戸長の友人関係で血縁関係の薄い数家族が集まる場合もある。
同じ地域で遊牧を行う複数のアイルの集合体がいわゆる部族(アイマク)であり、これらが遊牧民の政治単位となるが、現在では解体されており、
現代のモンゴル国ではアイマクは県を指す。19世紀以前のモンゴルにはアイマクに王侯貴族がおり、隷属民の牧夫を抱え、隷属民まで含めゲルが何十何百も集まった大型のゲル集落が存在していた。
これを中世モンゴル語ではクリエン、近世モンゴル語ではフレーといい、
その中央には王侯貴族の住む大型のゲルがあった。このような大型のゲル、および大型のゲルを中心とした遊牧民の宮廷のことをふつうオルドと呼んでおり、モンゴル帝国のハーンたちは非常に大きなゲルをオルドとしていたことが知られる。
現代のモンゴル国の前身となった清朝統治下の外モンゴルでは、
もっとも大きなゲルに住み、もっとも数の多いフレーを従えていたのは
外モンゴルを代表する活仏であるジェブツンダンパ・ホトクトであった。
のちにジェブツンダンパのフレーは遊牧移動をやめて一箇所に定着し、
19世紀には漢民族の商人も住み着く都市に変貌する。
この都市が、現在のモンゴル国の首都ウランバートルの前身であるイフ・フレー(大フレー)である。現在も、ウランバートル市内には固定家屋と並んで庭にゲルを立て、都市内であえてゲルで生活する人も非常に多い。
次の写真は、2015年4月下旬に訪問した時に、撮影したものです。
☆テレルジ国立公園で宿泊した伝統的な移動式住宅ゲルの内部です。
☆テレルジ国立公園で宿泊した伝統的な移動式住宅ゲルの内部です。
☆テレルジ国立公園内の観光客向けの宿舎・ゲル群です。
☆テレルジ国立公園内の現地人の住宅と周辺の風景です。
☆テレルジ国立公園内で働いている母と娘です。
☆テレルジ国立公園内を駆け巡る乗馬姿の日本人観光客です。